平成23年5月21日
今日、マンゴーハウスで掃除をしているときに
ふと、標題の言葉が浮かんできました。
農民の義務と権利と意義について、どんな考えを持つべきなのだろう・・・と。
日本の食料自給率が実質40%を切っているときに、
また世界からの食糧輸入量が先細りになりそうな時に、
農民は食糧を作っていかなければならない。
これは農民としての義務なのだろうと思います。
いざとなれば、嗜好品的な果物や野菜などかなぐり捨てて
米や小麦を作っていかなければならないのかもしれません。
国民を餓死させる訳にはいかないのですから。
そして、その労働と供給の対価として生活できるだけの
収入を求めることは権利なのでしょう。
「意義」とは、農民として毎日働くことの目的や求められていると言う
喜び、自らのアイデンティティを表現できる場を農業と言う分野で
行動できることで、思考を活性化させることができる、
いわゆる モチベーションを日々維持して高めることができる。
と言うことでしょうか。
今の日本の現状はどうなのでしょう。
農民の平均年齢は65歳を超えようとしており、毎年数万の農民が
農業から離れて行く現実。
ここで農民の義務が果たされているのでしょうか?
その対価に対する収入はサラリーマンと比べると半分にも満たない。
宮崎で米作りをしている人たちの話を聞くと利益はない。
提供するために、または自分たちの米を確保するために作っているにすぎない。
赤字が出なければもうけものの世界がある。
野菜にしても、口蹄疫の時はほとんど売れず、
東日本大震災の今は、東北の需要が伸びないので野菜が動かず超安値。
そして、計画停電があった時は冷蔵倉庫が動かないと困るので
流通業者が一括仕入れをせずに、その日の量だけの取引になり
一気にできる作物はあふれて捨て値になってしまった。
収入を得る権利は全くない状況。
これには日本の農業流通のシステムが大きな影響を及ぼしているようだ。
そして「意義」
私がJAに出荷したマンゴーはどこにどうして売られていくのかがわからない。
品質は最高だから、高級販売店で売られて、相当なお金持ちに食べてもらっているのだろう。
だけれど、誰からも何もコメントがない。
JAからも何のコメントもない。
もしも、病気が入っていて途中で腐ってしまったり、全くひどい品質だったら
クレームが山のように来るのだろうけれど今は一切ない。
この3年間苦労して、苦労して作ってきたマンゴーなのに
何のリアクションもないまま出荷が終わってしまう可能性がある。
少しの量を友人・知人に分けている。
この人たちからは、美味しかった、びっくりした、奇麗だね、苦労したんだろうね、
来年も注文するよ、もっとちょうだい・・・等々の声がすぐに帰ってくる。
農業に限らず、ものづくりのだいご味・意義ってこんな些細なことなのではないだろうか。
工場の大量生産で作っている包丁にはお客様の声が返ってこないけれど、
職人さんがコツコツ作っていて直送した包丁にはお客様の声が戻ってくる。
農業家として作物を作っている私にとって、お金の問題ではなく
何のために農業をしているのかがきちんとわかっていなければならない。
既存のシステムですべてお任せしてブーブー文句を言っている暇があるなら
自分が欲するシステム作りにまい進することが大切だと、言い聞かせている。
そのためにも、一緒に進んでくださるお客様作りが大切である。
自分と作物の信用作りが第一ですね。